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日々思うところを書き殴る
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週末からの出張っててんやわんやです(><
始まって数日でサボってしまった・・・


さて、峡は俗に言われる「教育」の話

goo辞書では下記の様に解釈言っています。
「他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること。」

この「教育」という言葉、「子供の―」「部下の―」「―的指導」等色々な使われ方をしていますが、果たして本当に「教」と「育」が両方出来ているのか甚だ疑問です。
自分に関してもそうです。普段から子供や部下に対して出来ているのか常に自問自答です。

「教育」に関して、私は「教」は要らない「育」だけで十分だとよく言います。
「育」だけでも十分結果は出来ますから。

ここで、一旦言葉の定義を決めたいと思います。
  「教」は、正しいことを教えて正しいことが出来るようにすること。
  「育」は、色々なことに気付くことによって正しいことが考え出せるようにすること。
と便宜的にさせて下さい。

もうちょっと詳しく書くと、子供に「お箸を正しい持ち方で持ちなさい」というのは「教」、「正しい持ち方をしないとかっこ悪く見えるから正しく持ちなさい」は「育」。
これの違いが分かるでしょうか。
前者は行動の動機(モチベーション)が「正しい箸の持ち方をする」であって、後者のそれは「正しくない持ち方は恥ずかしいからやらない」となります。
つまり、前者は正しいか正しくないか良く分からないけど言われたからやっている状態でああるが、後者は何が正しいのか自分なりに考えて答えを見つけて行動しています。

このように考えると、「正しいことが出来るようになる」教育では無く、「正しいことが考え出せる」教育の方が今の社会には必要なのではないでしょうか。
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